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「いちみーぬ かりぬやどぅ」(生きている間は仮の宿)成仏してからのお墓が永遠の家なんです

―清明祭といった沖縄伝統のお墓行事について、お考えを聞かせて下さい。

とみ


私が生まれた頃は、父方のお墓は那覇高校のすぐ近くにあって、母方は八重山ですが、ウシーミー(清明祭)などのお墓の行事はずっと行ってましたよ。自分がお墓を持つようになってからも、祭りごとは欠かさずに行ってます。

高良


沖縄の場合、例えばウシーミーでみんな集まって、その時子どもたちも孫たちもみんな親戚と顔を合わすんですよね。そこで、横の絆を再確認するんです。

とみ


その時にしか顔を合わせない親戚もいますもん。お祝い事でも今はすぐホテルでやっちゃって、そんな伝統がどんどん薄れているから、親戚も疎遠になるんじゃないですか。

―お墓では何を拝んでいるんですか。

とみ


小さいときから母に教えられている「みーまんてぃきぃみそーち」、見守ってくださいと。ご先祖様の情けでこうして「ぬーぬさわいんねーらん」、何の災いもなくして育っています、ありがとうございますとね。沖縄のウガン(拝み)にお経なんてないですが、生きている人と話をするようにお墓参りをしたり、お仏壇にウガンしたりして、生きざまや心を報告するんです。お墓参りをする日や祭りの日はちゃんと決まっていて、そのほかの日はお仏壇から拝むんですね私が生まれた頃は、父方のお墓は那覇高校のすぐ近くにあって、母方は八重山ですが、ウシーミー(清明祭)などのお墓の行事はずっと行ってましたよ。自分がお墓を持つようになってからも、祭りごとは欠かさずに行ってます。

―お仏壇は、ご先祖様につながる窓口なんですか。

高良


そうじゃなくて、お墓は先祖様が永遠の眠りについている場所で、お家の仏壇からお祈りするとお墓に伝わるんです。何というんですか、電話の端末みたいなものですかね(笑)。

とみ


お仏壇とお墓は一対なんですよ、どこの家庭でも。私はどんな豪邸を造ろうと、どういう出世しようと、お墓を造らなければ一人前じゃないと教えられました。お墓を敬う、ご先祖様を敬う。これが沖縄の人の心じゃないでしょうか。

仲里


お墓というのは永遠の住まいですからね。この世の家は仮の住まい。だから、永遠の住まいであるお墓に力を入れるんですよ。

とみ


「いちみーぬかりぬやどぅ」、生きている間は仮の宿、成仏してからはお墓が「永遠の家」だと子供の頃から母に聞かされているものですから、これは信じています。祖先を敬う、親を思う、兄弟を思う、そして文化を思う。これが沖縄の心じゃないかなと思う。

高良


成仏してからはお墓が永遠の家だという考え方は王様から庶民まで同じなんですよ。例えば昔の沖縄で一番偉いのは首里城の王様ですが、西側に玉陵という大きなお墓があって、歴代の王様から奥方までみんな入っています。首里城は「この世の首里城」ですが、玉陵の方は「あの世の首里城」。はるかに大切な永遠の首里城なんです。

とみ


だから昔から、沖縄の人はお墓をちゃんと造って拝みに行くんです。共同墓もご先祖様を祭ったところですからね。

「祖先に恥じないように」という意識が人間の行いに影響してくる

―沖縄では、祖先を大切にしているんですね。

仲里


沖縄の宗教観は「祖先崇拝教」って言ってもいいくらいですよね。祖先崇拝は伝統的に非常に強いんですが、これが道徳観や日々の行動規範にもなるんです。祖先にはいろいろ報告するわけですよ、生きている人間にやるようにね。「お陰さまで元気で暮らしています」とか「今後とも家族みんな見守って下さい」とか。祖先を敬う心や「祖先に恥じないように」という意識が薄らいでいくと、人間としての行いに影響してくると思います。

とみ


自分にもお仏壇や火の神様やお墓で拝むときには、沖縄にいる子どもたちやヤマトで暮らしている子どもたちを「今日一日無事に暮らさせて下さい」と。そしてウガンスーといって、ご先祖様の御名を上げさせて下さいと。あまり悪いことばっかりしたら「これのご先祖大変だったはずよー」って悪口言われるから(一同笑)、正直な良いことをさせて下さいって。すると自分が安らかになるんです。これが沖縄の無くしちゃいけない文化。お墓だけは大事にした方がいいなって思いますね。

高良


沖縄では昔亡くなった方を、複雑な葬式をしてお墓に入れますよね。そうやって何かするごとに先祖達を思い出す。何月何日はお墓参りをしますとか、この時はお仏壇で手を合わせますとか、一年を通して先祖達を思い出す儀式があるんです。それ以外にも、日常的にお仏壇の前で会話するんですよ。亡くなったあとも先祖達が身近にいるんです。だから見守られているし、ダメなことしたら怒られるしね。

お墓がちゃんとしているかどうかが沖縄社会を占う大事なポイント

―お墓が持てない、買わないという話も耳にします。

仲里


将来に渡って継承すべき沖縄の伝統文化というものが、非常に薄らいでいるんじゃないかと心配しています。沖縄のお墓は祖先との対話交流を生む接点ですが、守り続けなければならないという意識が薄れてきている。これは沖縄の祖先崇拝や親子の情愛のありかたといった、人間関係の原点に影響を及ぼすと思うんですね。もう一点、お墓の存在が土地利用の面で地域に及ぼす悪い影響が、非常に心配されております。今こそ秩序ある形成が求められています。

―具体的には。

仲里


現状は個人個人が場所を選んで造りますが、これは将来どうなっていくか読み切れない。個別にお墓を造って土地を売って「あとは知らない」ですよね。個人個人が管理するしかないわけです。個人が高齢化などで面倒見切れなくなると、荒れ放題になってしまう。那覇にもたくさんのお墓が形成されている地域がありますが、墓地の存在が地域の発展の阻害要因になっており、移転の可能性もあるでしょう。墓地地域が将来に渡って永続して維持できるような、土地利用面からの立地のあり方が問われています。

高良


現実にそういう、管理されていないお墓がたくさん出ていますから。そこがゴミの不法投棄場所にもなっている。お墓に電化製品が置かれてあったりという状況が起こっています。

仲里


今のままでいくと、県民の考え方や行いにも影響が出てくるんじゃないかと。お墓を将来も安心して守り続けられるような状況にならないと、子孫と先祖との接点が薄くなって途切れていく恐れがある。そこら辺りにしっかり秩序を持たせて、長期的な視点で墓地の形成がなされることが求められています。

仲里


お墓を開けたら、ビニールに入ったどこの誰のものか分からない遺骨が捨てられていたという事件もありましたね。

高良


これはね、あちこちで起こっています。自分達のお墓が立ち退きになったけれど、新しいお墓を造る金がない。お骨をしばらく家に預かっていたけれど、もうどうしようもなくて人のお墓に捨てる。

―お墓がなくなると大変ですね。

とみ


お骨を捨てるなんて不心得者は、出てこないでほしいと思うけれど、「これわったーお墓だ」っていうのがなくなったらどうしよう。土地の問題で立ち退きとかになっちゃったら大変ですよ。お墓造るのにも相当お金かかりますし、土地もどんどん狭まってきますし。生きている人間の暮らしは派手になって豪邸を建てるけれど、お墓なんてどうでもいいみたいな考えを持つようになったら、沖縄の伝統は無くなるんじゃないですか。

高良


お墓がどんな状況にあるのかというのは、沖縄社会を考える一つの指標です。今、みんな何とかお墓を小さくても造りたいと思っているけど、結構高いんですよ。お墓が分家する時はお骨も一緒に移すんだけど、お墓を買えなくてお寺さんに預けられたり。お墓がちゃんとしていて初めて、先祖を大事にする気持ちを持ち、親戚との絆を大事にしていく。これは沖縄社会を占う大事なポイントだと思うんですよ。この精神が沖縄文化の基礎になっているわけだから。

長期的、総合的な街づくりの観点から墓苑の整備を考える必要があります

―こうした由々しい事態に対しては。

仲里


個別の事例には墓地埋葬法の運用などの問題もありますが、無秩序に墓地が造られていると永続しない恐れがあります。どっかに移さなきゃいかんというようなことがないように、まさに長期的な視点で墓地が造られ、守られていく状況を作っていかないと。

高良


現状は個人個人が場所を選んで造りますが、これは将来どうなっていくか読み切れない。個別にお墓を造って土地を売って「あとは知らない」ですよね。個人個人が管理するしかないわけです。個人が高齢化などで面倒見切れなくなると、荒れ放題になってしまう。那覇にもたくさんのお墓が形成されている地域がありますが、墓地の存在が地域の発展の阻害要因になっており、移転の可能性もあるでしょう。墓地地域が将来に渡って永続して維持できるような、土地利用面からの立地のあり方が問われています。

―墓地購入のポイントは。

高良


まず予算の範囲内で(笑)、ちゃんと駐車場があり、計画性と管理運営がしっかりしているところ。駐車場や手洗い場などの公共的なスペースが、時間が経つうちにお墓で埋められていくというのが一番多いパターンなので。ぼくが入ったときに景観が違っていると寂しいですから(笑)。

仲里


駐車場からお墓までの移動も、お年寄りでも行きやすい設計でないと。年取ったらね、「なーいったーびけーし、んじくぅよー、わんねーあっちゅうさんぐとぅ」、あんたたちだけで行って、私は足が痛いからって。

高良


現状は個人個人が場所を選んで造りますが、これは将来どうなっていくか読み切れない。個別にお墓を造って土地を売って「あとは知らない」ですよね。個人個人が管理するしかないわけです。個人が高齢化などで面倒見切れなくなると、荒れ放題になってしまう。那覇にもたくさんのお墓が形成されている地域がありますが、墓地の存在が地域の発展の阻害要因になっており、移転の可能性もあるでしょう。墓地地域が将来に渡って永続して維持できるような、土地利用面からの立地のあり方が問われています。

―沖縄型の墓苑づくりが求められていると。

高良


「ウヤファーフジ」、先祖代々の時間の流れと「エーカンチャー」、親戚たちのネットワークがクロスする場所がお墓なんです。これから豊かな環境のお墓ができ、そこにみんなが集って、再び絆を確かめられたらいいですね。「無縁社会」にしないように。

仲里


昔は農業であったり、地域で一緒に働くという場面が多かったけれど、核家族化して職業も別々になり、常日頃の人間的なつながりが弱くなってきている。お墓のあり方によって、その絆を強めていく役割も期待できるでしょう。

組織主体が明確で公益性の高い組織が長期に渡り責任を持って管理運営するのが理想です

―墓地の理想的なあり方を形にするには。

高良


首里城に王様がいた頃は、墓に対する土地利用の方針をちゃんと持っていたんですよ。サトウキビ畑や住宅になるような所には墓を造らず、丘の上やカーブや傾斜地とかを選ぶといった、今でいう政策があったんです。そういう場所にどんな方角で墓を造るか、フンシミー(風水師)というプロがいて、非常に計画的な墓を造っていた。それが長い間蓄積されて、丘の斜面に大変美しいお墓の伝統的風景が出来上がっていたんです。

仲里


今はお墓が、ただ単純なビジネスになってしまっている。方針やポリシーが不在なままお墓が造られていくと、道路や公園を造る時に土地利用計画とぶつかってくる。ましてや景観も台無しにしてしまう。現代における新しい思想哲学とか理念を踏まえて、「街づくり」という広い観点から永続するような「一定の規制の下で」お墓を造ることが強く求められていると思います。

高良


一番良い方法はモデルケースを創ることですよ。沖縄の伝統的な精神文化を大事にしながら、現代のライフスタイルも採り込み、将来的な維持管理もしっかりした墓苑。そういう一つのモデルケースを創って示せば、そこをお手本にした墓苑が造られていくのではないでしょうか。あんまり理屈っぽくああだこうだ言っても、なかなか皆さん動かない。「良貨が悪貨を駆逐する」という状況にしていけばいいと思いますね。

―想定される形は。

高良


相当志の高い企業か、公益性の高い組織ならば可能かも知れませんね。長期に渡り、責任を持ってそこを管理運営できる、組織主体が明確な組織。それには公益性の高さが求められますが、行政が直営するわけにはいきませんので、民間的なセンスを持ちながらも公益性の高い体制をどう作るかということですね。

仲里


組織を管理運営する人間が入れ替わっても、その組織が将来にわたって存続するような組織が管理を行えば、永続的にお墓が存続できるわけです。

―どのような仕組みが考えられますか。

仲里


今、公益法人の認可が非常に厳しくなっていますよね。民法第三十四条に基づく「公益性の認可」には社団法人と財団法人の二つがありますが、これの公益性が非常に薄くなってきているので、既得の団体も認定し直そうと。本当に「うまんちゅのたみないる」、世の中のためになると認定を受けた財団は、管理運営する人間が変わっても、百年二百年先まで存続していくでしょう。こういうのが一番望ましいですね。

―本日はお忙しいところありがとうございました。

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平良 とみ Tomi Taira

女優。1928年生まれ。13歳の時、石垣島で翁長座へ入団。映画「ナビィの恋」、NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」などで演じた沖縄おばぁのキャラクターが旋風を巻き起こす。沖縄県功労賞、沖縄県文化功労賞、東京スポーツ映画大賞主演女優賞、放送ウーマン賞特別賞、エランドール賞特別賞など受賞多数。沖縄の心とうちなーぐちを伝えることがライフワーク。

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仲里 全輝 Zenki Nakazato

沖縄県信用保証協会会長。1936年生まれ。与那原町出身。1959年、中央大学法学部卒業。1959年、琉球政府入職。商工労働部長、企画開発部長を歴任し、1997年に定年退職後、那覇空港ビルディング専務、那覇商工会議所専務理事を歴任。2006年、沖縄県副知事就任。在任中、街づくりをはじめ基地問題にも取り組む。2010年より現職。

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高良 倉吉 Kurayoshi Takara

琉球大学法文学部国際言語文化学科教授。1947年、伊是名島生まれ、南大東島育ち。1971年。愛知教育大学卒業。1993年。文学博士(九州大学)。沖縄資料編集所、沖縄県立博物館主査、浦添私立図書館館長を経て、1994年より現職。首里城復元の委員、NHK大河ドラマ「琉球の風」の監修者。琉球史研究の第一人者。