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沖縄の洗骨文化と火葬の普及

映画にもなりましたが、かつて沖縄では遺体を白骨化させて、骨を洗う「洗骨」という文化がありました。洗骨文化はどのようなものだったのでしょうか。そしてなぜ火葬へと移行していったのでしょうか。

 

 

亀甲墓とシルヒラシ

かつて沖縄では人が亡くなると、遺体を数年間おいて白骨化した後に骨を海で洗って甕に収める「洗骨」が行われていました。今でも昔ながらの大きな亀甲墓を目にする機会があると思いますが、墓の中には棺を置いておくシルヒラシという場所がありました。

地域によって洗骨のタイミングはまちまちですが、次の人が亡くなったとき、あるいは数年経ったタイミングで墓を開けて洗骨が行われていたそうです。

また、場所によっては集落から離れた崖下や洞窟などに棺を置いていたという場所があり、お墓以前の崖葬の名残をみることもできます。

 

火葬の普及

それでは沖縄ではいつから火葬が普及したのでしょうか。戦前も火葬場を設置した自治体があったそうなのですが、その際は村長宅に青年達が押しかけて抗議や嫌がらせをしたという話があります。そういったエピソードから火葬についての強い忌避感を感じますね。

戦後、火葬場の設置を訴えたのは女性でした。洗骨儀礼において、骨を洗う役割は長男のお嫁さんと決まっていました。それはかなりの心理的な負担だったということです。沖縄本島では女性運動の末、1951年に大宜味村に火葬場が落成。そこから県内各地に火葬場が設置されていきました。

 

火葬の影響とお墓

火葬場の設置より徐々に火葬が行われるようになり、現在はほぼ沖縄では火葬が行われています。火葬の普及はお墓の形にも影響を与えました。まずは洗骨を行うために遺体を置くシルヒラシが必要無くなりました。また、洗骨を行っていた頃、遺骨はほぼそのまま残っていたため大きな骨壺が必要でした。火葬によりより小さな骨壺に骨を収めることが可能になり、少ないスペースでお墓を作ることが可能になっています。

沖縄でお墓といえば大きな亀甲墓をあげる人も多いと思いますが、実は火葬の普及により現代ではそこまで大きなお墓は必要無いのです。

 

これからのお弔いの形

現在はあまり一般的ではありませんが、遺骨を海にまく「散骨」や遺骨を特殊な方法でプレートなどに加工するといったお弔いの方法があります。

これらの方法に忌避感を抱く方もいらっしゃると思います。しかし、「火葬をするなんてとんでもない」という時代から火葬が一般的になったようにひょっとしたらそういった新しいお弔いの方法が一般的になっていくこともあるかもしれません。 大切なことは故人を想う気持ち。それはいつの時代も変わらないと思います。